こんにちは
将棋ブログをやっていく訳ですが、まず私の棋歴について話していきます。
ざっと私の棋歴を挙げていくと
・小6 将棋と出会う
・小6~中2 だらだらと将棋を続ける
・中3 スマホを買ってもらったのをきっかけに将棋ウォーズガチ勢に
・高1~高2 全国大会目指し将棋部で将棋をやる
・高3 コロナで大会中止、受験勉強で続けるのがやっと
・大1 現在に至る
という感じです。
ですから、将棋歴は4~6年になります。
なんか一人で3DSのコンピューターと遊んでいた時期を含めるなら6年、ガチでやって強くなった時期だけ考えるなら4年になりますね。
とりあえずその時その時に何をしていたか、どのくらいの実力だったのかを書いていくと
・小6~中2
将棋は従兄弟が始めたのがきっかけで私も便乗して始めました。
当時は将棋道場とかにも言ったことが無くて、実質の練習相手は3DSのコンピューターと身内だけでした。
しかし、身内の将棋ができるメンツには全員に勝てるようになり、そこそこの強さにはなっていたと思います(将棋ウォーズ4~3級くらい)
しかし、ダラダラと将棋をしていただけなので、趣味は将棋です、と言っていたけれど、怪しいところもありましたね。
・中3
親にスマートフォンを買い与えられたクリスマスの日を境に私は将棋ガチ勢になったと言えます。翌日には将棋ウォーズをダウンロード、そして将棋漬けの日々を送ります。
当時は本当に将棋漬けで、1日中将棋をやって、将棋ウォーズを始めて1年後には将棋ウォーズ二段になりました。
この一年間で私の将棋がほとんど確定し、居飛車党で対振りには急戦、相居飛車ではなるべく角換わりを一手損してでもやっていく、というスタイルになりましたね。
しかし、二段という位置からかなり伸び悩むことになります。
・高1~高2
このころはようやく将棋仲間ができました。
高校で将棋部にも入り、当時までほとんど出たことが無かった将棋の大会に出て、県のライバルたちとバチバチやり合いました。
他校の将棋部にも仲の良い人が出来て、めちゃくちゃ楽しかったです。
大会の方は、県3位がMAXで全国大会に行くことが出来なかったのが悔しいところです。しかし、県の中でも弱小だった私の母校の将棋部を私を中心として結構押し上げることが出来て、達成感もありますし、仲間とすっごい良い経験をしました。
このころはずっと将棋ウォーズ二段のままで、実力は上がっていましたが、将棋の根本の実力が伸び悩んでいました。
しかし、パソコンを買って、毎日のように将棋ソフトで序盤中盤の研究に時間を使っていました。
高校二年生の冬、ちょうど年明け前くらいに将棋ウォーズ三段に昇段することができ、嬉しくて仕方が無かった記憶があるかと思いましたが、当時の失恋と重なっているので、喜びの感情があったかと言われると分からないです。
・高3
この年は将棋に関しては現状維持の部分と強くなった部分が極端でしたね。
何があったかというと、コロナウイルスの影響で大会が中止になってしまったことと、受験勉強で将棋に割く時間はなるべく減らしたことですね。
どちらも将棋をやるうえでは残念ですが、大学受験の優先度はこれ以上にないですし、コロナウイルスに関してはマジで悔しいですが仕方がないです。
受験勉強でひたすら勉強するにしても、将棋をやらねば棋力が落ちてしまう、ということで、それまでは1日の日課だった将棋ウォーズ10分切れ負け3局を将棋ウォーズ3分切れ負け3局に変えました。
それにより、ウォーズ3切れも三段に上がり、早指し界隈の厳しさも知りました。
しかし、時間のかかるようなソフト研究は全くしなくなり、新しい手や独自の手の開発などは全く進行しませんでしたね。
対局に費やした時間分の成長はあると思います。
・大1
そして現在に至りますね。
将棋ウォーズの段位は相変わらず三段で、将棋は10切れをやったり3切れをやったりまちまちです。
これからブログをやりつつソフト研究だったりを再開していこうと思っています。
という訳で、今回は私の棋歴について書いてきました。
もっと詳しく書くことがあれば、また別の記事で書きたいと思います。
今回は以上です。
将棋ブログをやっていく訳ですが、まず私の棋歴について話していきます。
ざっと私の棋歴を挙げていくと
・小6 将棋と出会う
・小6~中2 だらだらと将棋を続ける
・中3 スマホを買ってもらったのをきっかけに将棋ウォーズガチ勢に
・高1~高2 全国大会目指し将棋部で将棋をやる
・高3 コロナで大会中止、受験勉強で続けるのがやっと
・大1 現在に至る
という感じです。
ですから、将棋歴は4~6年になります。
なんか一人で3DSのコンピューターと遊んでいた時期を含めるなら6年、ガチでやって強くなった時期だけ考えるなら4年になりますね。
とりあえずその時その時に何をしていたか、どのくらいの実力だったのかを書いていくと
・小6~中2
将棋は従兄弟が始めたのがきっかけで私も便乗して始めました。
当時は将棋道場とかにも言ったことが無くて、実質の練習相手は3DSのコンピューターと身内だけでした。
しかし、身内の将棋ができるメンツには全員に勝てるようになり、そこそこの強さにはなっていたと思います(将棋ウォーズ4~3級くらい)
しかし、ダラダラと将棋をしていただけなので、趣味は将棋です、と言っていたけれど、怪しいところもありましたね。
・中3
親にスマートフォンを買い与えられたクリスマスの日を境に私は将棋ガチ勢になったと言えます。翌日には将棋ウォーズをダウンロード、そして将棋漬けの日々を送ります。
当時は本当に将棋漬けで、1日中将棋をやって、将棋ウォーズを始めて1年後には将棋ウォーズ二段になりました。
この一年間で私の将棋がほとんど確定し、居飛車党で対振りには急戦、相居飛車ではなるべく角換わりを一手損してでもやっていく、というスタイルになりましたね。
しかし、二段という位置からかなり伸び悩むことになります。
・高1~高2
このころはようやく将棋仲間ができました。
高校で将棋部にも入り、当時までほとんど出たことが無かった将棋の大会に出て、県のライバルたちとバチバチやり合いました。
他校の将棋部にも仲の良い人が出来て、めちゃくちゃ楽しかったです。
大会の方は、県3位がMAXで全国大会に行くことが出来なかったのが悔しいところです。しかし、県の中でも弱小だった私の母校の将棋部を私を中心として結構押し上げることが出来て、達成感もありますし、仲間とすっごい良い経験をしました。
このころはずっと将棋ウォーズ二段のままで、実力は上がっていましたが、将棋の根本の実力が伸び悩んでいました。
しかし、パソコンを買って、毎日のように将棋ソフトで序盤中盤の研究に時間を使っていました。
高校二年生の冬、ちょうど年明け前くらいに将棋ウォーズ三段に昇段することができ、嬉しくて仕方が無かった記憶があるかと思いましたが、当時の失恋と重なっているので、喜びの感情があったかと言われると分からないです。
・高3
この年は将棋に関しては現状維持の部分と強くなった部分が極端でしたね。
何があったかというと、コロナウイルスの影響で大会が中止になってしまったことと、受験勉強で将棋に割く時間はなるべく減らしたことですね。
どちらも将棋をやるうえでは残念ですが、大学受験の優先度はこれ以上にないですし、コロナウイルスに関してはマジで悔しいですが仕方がないです。
受験勉強でひたすら勉強するにしても、将棋をやらねば棋力が落ちてしまう、ということで、それまでは1日の日課だった将棋ウォーズ10分切れ負け3局を将棋ウォーズ3分切れ負け3局に変えました。
それにより、ウォーズ3切れも三段に上がり、早指し界隈の厳しさも知りました。
しかし、時間のかかるようなソフト研究は全くしなくなり、新しい手や独自の手の開発などは全く進行しませんでしたね。
対局に費やした時間分の成長はあると思います。
・大1
そして現在に至りますね。
将棋ウォーズの段位は相変わらず三段で、将棋は10切れをやったり3切れをやったりまちまちです。
これからブログをやりつつソフト研究だったりを再開していこうと思っています。
という訳で、今回は私の棋歴について書いてきました。
もっと詳しく書くことがあれば、また別の記事で書きたいと思います。
今回は以上です。
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